2021年4月24日、掛川市の新市長に就任した久保田市長。松井前市長からバトンを受け取り、何か変わりそう?と期待する人も多いでしょう。
私も期待している一人です。
でも、久保田市長のこと、どこまでわかっていますか?
どんなキャリアで、どんな人柄で、趣味はあるのだろうか?
うん、よく知らない!(笑)
そこで、掛川暮らしのマガジンでは、久保田市長を突撃インタビュー!
選挙期間中には語られなかった久保田市長の一面を、12の質問で明らかにしていきます。
久保田崇市長プロフィール
1976年掛川市生まれ。西山口小、東中を経て、掛川西高卒。大学卒業後、国家公務員試験に合格し内閣府の官僚となるも、2011年の東日本大震災が起こるとボランティア活動をきっかけに岩手県陸前高田市の副市長に請われて4年間復興に尽力。
退任後は立命館大学教授を務めていたが、当時の松井三郎市長から要請されて2019年に掛川市の副市長に就任。2021年4月、掛川市長に44歳で初当選。
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幼少期。どんな少年でしたか?
泣き虫だったらしいですよ(笑)。智光幼稚園に年中から入って。なかなかいきたがらなくて、ずっと泣いていたって聞きましたね。
小さい頃は、毎週のように図書館に親が連れて行ってくれていました。それもあってからか、小学生の頃から、本が好きでした。ズッコケ三人組、ぼくは王さまシリーズ、怪人二十面相。江戸川乱歩の子供向けの本を多く読みました。
小さい頃の夢は?
中学のときは夢があって。掛川の中学校には立志式という行事があって、そこで将来のなりたい仕事を書きます。私は、新しい車の開発や設計をしたいと書いていました。
理系だったこともあり、技術系の仕事につきたいと思っていたんですよ。当時思い描いていた夢とは、違う方向に進んでいますね。
国の仕事につくきっかけは?
高校生の頃から、環境問題に興味を持っていました。どんな仕事に結びつくかはわからない。でも、大学で学びたい。京都大学に進学を決めました。
ちょうど大学3年のとき、地球温暖化防止京都会議が開催されて参加しました。後にノーベル平和賞を受賞したアル・ゴア氏が、アメリカの副大統領のときだったかな。当時は、市民団体に所属していると国際会議を傍聴できたんですよ。
そのとき、初めて政策というものに興味を持ちました。他に政策を作るような仕事もなかったので、公務員になろうと。それで環境省に入ろうと思った矢先、色々事情があり内閣府に行くことになりました。
内閣府ではどんなお仕事を?
内閣府は本当に色々な仕事があって、異動も多いんですよ。私もさまざまな部署で仕事をしました。例えば、引きこもりの方の支援事業に関わっていました。直接話を聞いたり、NPOや民間団体に話を聞き、国として何ができるかヒアリングをしたりして法律を作りました。
北方領土に行くこともありました。
戦前までは北方領土に住んでいた人がいて、元島民のお墓があります。墓参りをどうやるか、どう行き来するか。そういう政策を担当しました。
陸前高田市の副市長を受けた理由は?
東京の内閣府在籍中に勤めていたときに東日本大震災が発生して、ボランティアに行ったことがきっかけです。それが縁になって、陸前高田市の戸羽太市長に、復興の仕事を手伝ってくれと。それで陸前高田に行きました。
もちろん、悩みました。東北といっても、縁がないですからね。私は国の職員だったのですが、地方行政を知らなかったんですよ。初めて地方に行くのが、被災地で市役所も壊滅していて。そんな場所で、私にできることはあるのかと。
でもね、戸羽市長さんが津波で奥さんを亡くしているんですけど、直接頼まれて断れなかった。普通、副市長になってくれと頼まれることもないですよね。
断ったら一生悩みそうだと。過去を振り返ったときに、「あのとき引き受けておけば良かったな」と後悔しそうじゃないですか。大して力にならなかったとしても、依頼してくれていることもあり、これはやらないとと。
今、市長になって、改めて抱負を。
選挙を通じて市民の方々から様々なご意見を伺っていますが、時代の変化がとても激しい。
地方である掛川市も、物事を変えていかないといけない。持続可能性を問われている。環境変化に適応して、変革していくということですね。教育、お茶を含む農業、環境、防災などの分野で改革を進めていきます。
防災対策に期待している市民も多いと思います
防災は事前の備えがかなり大きいんですよ。当日できることは限られる。
津波対策で言うなら、海岸の防潮堤を早期に完成させること。津波は低いところに押し寄せるから、完成しないと意味がない。ただ、防潮堤があるからといって逃げなくてもいいと言うわけではなくて、それを超えてくる可能性もある。市民の皆さんには、逃げることを徹底していきたい。
あとは、これからは見える化でしょうね。避難所にどれくらいの人が避難していて、どのくらいの物資が必要なのか。それを可視化することが大事。テクノロジーにより可能となってきました。別の避難所が空いていれば、そちらに移動してもらうこともすぐに判断できます。全てを見える化することが必要なんですよね。
なぜ市長はTwitterをやっている?
大袈裟な言い方ではないんですけど、Twitterもある種の防災対策なんですよ。
非常事態が起きた時に、問題になるのはSNSです。デマなのか、事実なのかということなんですよ。熊本も東北も同じなのですが、あの避難所に物資が足りないと言う情報が出て集まるけど、すでに古い情報ということがあります。
大事なのは、精度の高い情報をいかに伝えるか。
災害が起きたときに呟き始めても、遅いんですよ。普段からやっているから、災害が起きたときに市長が何か言っているだろう。市長が言っているなら間違いないだろうと、Twitterを見に来てくれるはずです。
Twitterは自分でやられている?
もちろん、自分でやっていますよ〜(笑)。
趣味はありますか?
将棋が好きです。弱いんですけど、かなり好きなんですよ。
実力的には、初段くらい。プロの対局も見ているし、新聞の将棋欄をよく読んでいますね。最近は、藤井聡太くん(二冠)の対局を全部見ています。
掛川市民とどう付き合っていきたい?
交流の機会を増やしたいです。
行事に出るのもそうだし、ざっくばらんに意見交流をする場所を増やしたい。
市長って打ち合わせをしているよりは、街に出て、知らないことを知ると同時に地域の方とお話しするということが大事なんですよね。
就任したばかりなこともあって、今は1日20件くらい打ち合わせが入っています。もう少し減らして、もっと交流したいですね。
どんな掛川市にしたい?
私はこの街の人が、いろんなことに挑戦できる、チャレンジできる環境を整えたいと思っています。
「やめておけよ。起業なんて」と言うのではなく、「うまくいくかわからないけど、やってみようぜ」と背中を押してくれる街になってほしい。
メンタル面だけを言っているわけじゃないんです。
制度的にも、やれる制度がないとできないことがあります。
例えば、農業をやりたい人がいたとして、農地はどうする。機械はどうするのと。
やっぱり、助けがないと難しい。農業を新規でやりたいという人がいた時に、それを可能にする仕組みを作っておいてあげないといけない。
だから、メンタル面と制度的なものの両面から、チャレンジを後押しして行きたい。それが生きがいにもつながっていきますから。
動画インタビューもチェックしよう
お忙しい中お時間をとっていただき、久保田市長にお話を伺いました。今回は政策の具体的な内容に突っ込むというよりも、「久保田市長ってどんな人?」という人間性や考え方の部分にフォーカスしてみました。
図書館に通っていたり、SNSをやっていたり、将棋が好きだったり…。さまざまなエピソードが出てきて、とても身近に感じました。
「市民の方々ともっと交流していきたい」という話も出ましたので、皆さんも催事やイベントで話す機会があるかもしれません。まずは、市長自らが投稿しているTwitterをフォローして、気になることがあれば直接市長に質問してみてはいかがでしょうか?
今回、掛川市で動画制作を行っているSAGISAKA STUDIOさんに、インタビュー動画を制作していただいています。あわせて、チェックしてみてください!