掛川一風堂|珈琲を売るお茶屋さんを訪ねて1

代々続くお茶屋さんが営む珈琲店「掛川一風堂」。

ずっと気になっていたそのお店へ入ると、珈琲の焙煎のいい香りが漂い、一瞬にして幸せな気分になりました。

母の日のギフトを購入して帰る予定だったのに、香りの良さに思わず自分用の珈琲豆を焙煎して貰いました。ついつい話が弾み、長居してしまう程、居心地の良い、アットホームなお店。

そんな、お茶屋さんであり珈琲屋さんである代表の荒川さんにお話をお伺いしました。

「掛川一風堂」のはじまり

”掛川で新しい一つの風を巻き起こす”

そんな由来があるという「掛川一風堂」。

その名の通り、先代が掛川で土台を作り、現在の代表、荒川さんへと引き継いだ。

代々続く老舗のお茶屋が始めた珈琲屋の始まりは、小さな焙煎機2個だけの店舗。

荒川さんが高校生の時だった。

 あれから早24年。一本の細い糸でなんとかしのいで今日に至った。やって来られただけで感謝。

そう語る荒川さん。

「掛川一風堂」は今、

”掛川から新しい一つの風を巻き起こす”

と由来の意味を進化させている。

しっかりと土台を作ってくれた先代への尊敬と感謝を胸に、これからは、「掛川で」ではなく、「掛川から」でありたいと話す。

掛川から静岡、日本、世界へと「掛川一風堂」を知ってもらいたい。

掛川で珈琲の先駆者として走ってきた24年

皆が口をそろえて言う「珈琲をやるには大変な土地」。

お茶の街掛川で、先駆者として珈琲市場に参入した「掛川一風堂」。

 30代はほぼ休みなしであれこれやった。とにかく社名を知って貰わないといけないと必死だった。掛川は珈琲に関してあまり反応のないお茶の街。お茶の街で珈琲なんて失敗とみられているのはひしひしと感じた。

何故お茶屋が珈琲屋をやっているの?何度となく聞かれたであろう質問。

実際にその答えを伝えても、納得できない人も多かったそう。

その答えは、苦労を重ねてきた当人だからこそ分かるのかもしれません。

お茶屋なのか、珈琲屋なのか?

苦労や葛藤を乗り越え、今、荒川さんが今想うこととは…

  結局、最終的に自分は何かというと、お茶屋でしかない

  まだ途中の段階なので、線を引いて答えを出すのは難しいけれど、商品を仕入れます、作りますという判断基準はお茶屋。分かりやすく言うと味かな。珈琲の仕入れでも、お茶の味が基準になっている。

珈琲の焙煎では、口に残る渋みを消そうと努力するから飲みやすい。「椿」(お店の人気銘柄であり、お茶をイメージした珈琲)は、口当たりに感じる渋みがお茶のようだった。

これは、ネーミングだけじゃなくて、実際に味もお茶屋が作った珈琲。そういう物を作ろうとしているのがお茶屋たる所以かな。

お茶屋と珈琲屋の違い

お茶と珈琲、両方をやっていて感じる違いとは何か? ずばり聞いてみた。

 珈琲でいうと、「珍しい・面白い」と思ったから来ましたという人が多い。僕らもそういうお客さんに来て欲しいと思って商品開発をして、売り場を作って、値決めをしているので、来てもらえると「よかった、よかった。やったことが返ってきたね」となる。

お茶の立ち位置になると、その線はあまり考えられていない。スーパーの売り場をみると今の業界の様子が反映されていてよく分かる。麦茶の大量のティーパックなどを見ても値段がどんどん下がってきている。

珈琲販売では、アウェイな状態から一人一人ファンを作ってきているから、お客さんに来てもらうまでの段階でとても大変な思いをしているそう。

珈琲を飲んでない人に向けた商品と、珈琲を飲んでいる人を引っ張ろうと思うとアプローチが全然違う。僕らは、珈琲を飲んでいない人・「掛川一風堂」を知らない人をターゲットにしている。

珈琲の入れ方講座をしたり、来店した人の希望を聞いて、やれる手法をお伝えする。挽き方を変えるとか、焼き方を変えるとか、珈琲屋さんでは当たり前にやっているそこに提供できる価値がある。

一般の人が専門店や個人店に入るってハードルが高いし、買わずに出るのもちょっと難しい。コンビニで数百円の物を買うのとは違う。ましてや、お茶屋となるとさらにハードルが上がる。カフェなどをやっていれば別だけど、茶葉だけだと世代によっては、あれは何屋なんだろうとなってしまう。

お茶に関しては、値段も販売価格もすべてが下降してきている。茶葉としての消費需要に対して、生産量が多くなってアンバランスになっている状況が続いている。そういう状況で、お茶屋さんが続けられなくなってしまっても誰も気が付かないし抗えないという現状がある。

 珈琲の専門店、お茶の個人店、同一店舗で運営していても、そのアプローチが全く違うことに驚いた。だからこそ、足を運んでくれたお客様の意見を大切にし、それぞれの特性に合わせた営業努力が必要になってくるのだろう。

掛川一風堂に訪れた転機・これまでのあゆみ

 最終的に僕は今、お茶屋というフィルターを通して珈琲の味を見ているけれど、20代・30代の頃なんかは、お茶屋が作る珈琲なんてショップカードを出しても、よく分からないし伝わらない。考えている暇もなくあれこれ手を出して、外れることも多かった。

そんな苦労の連続だった「掛川一風堂」の名前が認知されるようになったきっかけは、「珈琲の入れ方教室」だったという。

幼稚園の保護者会などに出向いたり、地道な努力を続け、これまでに1万人以上に珈琲の入れ方を伝えてきたという。

珈琲を入れたことない人が、1時間後にはハンドドリップができるようになっている。

参加者のうれしそうな顔、知らないものを知るときの喜び、日常を忘れて香り高い珈琲ゆっくり楽しめる時間、そんなお客さんの反応に手ごたえを感じられた。

 掛川の人々にとっては、お茶は身近な存在。地場であるということ、見慣れすぎているということを感じた。

地道な努力により、「掛川一風堂」の珈琲は、ファンがファンを呼び、年々大きくなっていった。一方で、お茶との落差を感じる日々でもあった。

常に、お茶屋なのか珈琲屋なのかを突き付けられてきて、ようやく両方のいいところを応用して「掛川一風堂」らしさに辿り着いた。

 売れる・売れないの前に自分って何がしたいの?という自問自答をしていた。お茶は代々続いてきている大切なものだから、珈琲だけにする?両方する?お茶に戻る?といった葛藤や責任の重さに苛まれてやってきた。 

お茶屋が一つなくなるって簡単に言うけれど、当事者にしてみるとオリンピック選手が負けた時の喪失感のような、またやればいいという物でもないから。

 珈琲ビジネスの前進とともに、お茶の課題を認識してきた荒川さん。

お茶と珈琲の二刀流という困難を、前向きに、時にアグレッシブに乗り越えてきたからこそ説得力がある。

お茶屋が作った珈琲「ほうじ茶珈琲」

「掛川一風堂」の人気商品である「ほうじ茶珈琲」は、他のお茶屋さんでは決して作れない。

 同じレシピを他のお店で作っても確たるストーリーや芯がないですよね。

「ほうじ茶珈琲」以外にも、いろいろな組み合わせで美味しいものは作れた。でも出さないのは、理由がないから。理由を答えられないものはお客さんにも伝わらない。

ここにこだわるのは嗜好品の最たるものかな。

お茶屋さんであり、珈琲屋さんでもある。

両方を知り尽くしている「掛川一風堂」だからこそ生まれた商品であることが伝わる。

その味は、とてもすっきりとした味わいで飲みやすく、お茶ファン・珈琲ファン、両者の心を掴む商品であることは容易に想像がついた。

と同時に、お茶にも珈琲にもまだ出会っていない、そういう人たちに向けての商品であるのだとも感じた。

 「ほうじ茶珈琲」を作った時、同業のお茶屋さんにはナニコレ?って言われた。未知なるものはみんな気になる。いい商品かどうか判断する何かがあるとしたら、アンチがいると行けるかな?と思うことはある。特に業界の人がこっちを向いていると。未来が見えなくてもいい。今やれることがあることが大事。

不安のなか発売した「ほうじ茶珈琲」は、今ではお茶と珈琲業界を繋ぐ架け橋となり、「掛川一風堂」でしか実現できない「お茶と珈琲」という新たなジャンルを生み出している。

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