静岡から茶畑が消える日、静岡県民が失うもの

静岡県が茶産地として50年以上も守ってきた、産出額(※)トップの地位が鹿児島にとって変わられました。「いつか抜かれる」と分かってはいながらも、その数字は静岡県内のお茶関係者に衝撃を与えました。

しかし、データで語られるよりも、産地である掛川市周辺の状況はもっともっと深刻です。

ソーラーパネルに埋め尽くされた茶畑、二度と動かない埃に包まれた茶工場。そして、失われていく、お茶と共にあった人々の暮らし。

何を捨て、何を未来に持っていくのか。私たちは、岐路に立たされています。

(※)出典:JIJI.com

茶の産出額は、栽培農家が摘み取った「生葉」と、それを加工した「荒茶」の産出額の合計で表される。農水省の生産農業所得統計で19年の産出額は鹿児島県が生葉163億円、荒茶89億円。静岡県は生葉147億円、荒茶104億円。農水省によると、茶の産出額の統計が残る1967年以降静岡県が全国1位を続けてきたが、19年は鹿児島県が初めて1億円上回った。

 


薄れていく県民らしさ

「お茶を今年でやめる」「二番茶はもうやらない」

お茶は重労働だし、お金にもならないとなれば、続ける理由は徐々に薄れていく。

このまま茶畑がなくなっていったら、「お茶=静岡」と言われなくなったら、掛川は、静岡はどうなってしまうのだろうか。

おじいちゃんやおばあちゃんが茶畑の隅っこに座りながらお茶を飲み、子どもが自然の中で生き生きと走り回っている風景。毎食のようにお茶を飲み、お茶と共にあった暮らし。

産地では当たり前の光景が徐々に失われ、気がついたころには取り戻せなくなっている。お茶をゼロから育てようと思えば、5年や10年の月日が必要だから。

何より、受け継がれなくなった歴史や文化を取り戻すのはそう簡単ではない。

お茶の生産量が落ち、関わる人たちがゆっくりと減っていく中で、本当に失われていくもの。それは、茶畑の面積ではなく、通学路にあった茶畑やお茶っぱの香り、家族や友人と過ごしたかけがえのない時間、はたまた県民らしさ。

静岡県民としてのアイデンティティが、確実に失われていく。

悲しいことに、人間は失ってから気がつくことのほうが多い。

今、私たちは試されている。何を捨て、何を未来に持っていくのか。

あなたが残したい日本の風景は?

10年後、20年後、子どもや孫世代に残したいものは?

どんな未来を描けばいいのか、一緒に考え始めませんか?

産地の今を知ることから始める

すぐに行動を起こせたら何も苦労はない。まずは、産地のリアルな今を知りゆっくりと咀嚼しながら、未来に残したいものを考えていけばいい。

そんな取り組み「お茶と暮らし」が、掛川市で始まりました。

お茶の商品や地域産業としてだけではなく、暮らしの中で大事にしてきたもの、失われつつあるものを美しい写真や文章で記録。

未来の可能性を茶産地に生まれ育った地域の方々、お茶に興味関心をもつ国内外の方々と共に考えていくプロジェクトです。

 

 

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現在、Webサイトが一部公開され、InstagramやTwitterでは暮らしの一部を切り取った写真が更新されています。まずは、SNSをフォローして、徐々に失われつつある掛川の暮らしを覗いてみてください。

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そこからどんな関わり合い方ができそうか、考えていきませんか?