東京⇄掛川の2拠点生活。フリーランスドクターが掛川で実現したい医療の形|掛川東病院院長 宮地紘樹さん

掛川の暮らしを発信するWebメディア「掛川暮らしのマガジン」。
特集「掛川で働く」では、掛川で働く人たちにフォーカスしながら掛川で働く魅力を探ります。

今回は、東京と掛川の2拠点生活をしながら地方での医療改革に取り組む、掛川東病院院長 宮地さんにお話を伺いました。

《宮地 紘樹(みやち ひろき)さんプロフィール》
1979年京都生まれ。居酒屋バイトと海外バックパッカーを経て2004年に医師となる。
10年間外科医として武者修行したのち、病院に通えない方を自宅で自分らしく過ごせるようサポートする訪問診療医に転身。現在は世界でも最も高齢化を迎える日本の現状を解決すべく世界各国に医療視察を行い、知見交流から新しい医療の形を模索している。
趣味は旅行とカメラ、料理(特にカレー)、ジョギング。

《略歴》
2004年 3月 名古屋大学医学部卒業
2004年 4月 愛知県厚生連加茂病院 外科医
2009年 7月 公立陶生病院 心臓血管外科 医員
2012年10月 名古屋大学医学部附属病院 血管外科 医員
2015年 7月 笑顔のおうちクリニック名古屋・さいたま 院長
2019年 9月 掛川東病院 現院長

エリート家系に生まれ、医者の道を選択

ーー宮地先生が医者になろうと思った経緯を教えていただけますか?

父親が医者、しかも京大を出たエリートだったんですね。
僕は長男だったので、自然と医者になることを意識しました。

高校は勉強漬けの毎日。大学は名古屋大学の医学部に入り、そこで6年間学びました。
サークルはラグビー部だったのですが、ラグビー部ってね、勉強しないんですよ(笑)。僕は居酒屋でバイトしたり、海外を放浪したりしていたのが大学生活の一番の思い出です。

ーーサークルによってそんな傾向があるんですね(笑)

それでも大学を出てからは研修を経て外科になり、いわゆる社会の歯車の一つになっていくわけです。あまり自由はありませんでしたが、働くこと自体は楽しかったですね。
特に手技(しゅぎ)、いわゆる手で行う医療技術を教えてもらうのは性に合っていたと思います。

海外への思いが高まり、医者としてフリーランスの道へ

ーー宮地先生はフリーランスの医者としてユニークな働き方をされていると思うのですが、そのきっかけはどこにあったのでしょうか

医者って古くから業界ルールがあって、基本的にほとんどの病院は大学の系列病院なんですね。医者になろうとするなら、大学から病院を紹介してもらう形で働き口を得るのが普通です。

だからそのレールから外れることは、いわゆる”アウトロー”(はみだし者)なんですよ。普通は難しい。

ただ10年くらい前からインターネットで個人と病院のマッチングを行う動きが出てきて、自由度が増しました。いわゆる医者もフリーランス的な働き方ができる環境が整ってきたんです。

ーー昔からフリーランス的な働き方に興味があったのでしょうか

もともと人と一緒が嫌で、年功序列とかも嫌いなタイプなんですよね。
あとは海外が好きで、海外で医療をやりたかったというのはあります。

フリーランス的な働き方ができる環境が徐々にでき始める中で、医療の道を捨てるというよりは「これまでの経験を掛け合わせて何かできないか」と考えました。

そこで勤めていた病院をやめ、海外の医療機関に勤務する決断をしました。
ですが、そのタイミングで妻が病気を患ってしまったんですね。治療しながら海外で暮らすことは難しいので海外勤務はあきらめ、海外志向のあるクリニックに勤務することにしました。
そこでチャンスを伺いながら、仕事を通じて海外へ行く機会も積極的に作っていったんです。
医者として「在宅医療」の道を選んだのもそのタイミングでした。

着目したのは「在宅医療」。ICTを活用して医療改革に挑戦

ーー今でこそ少しずつ「在宅医療」という言葉を耳にする機会はありますが、当時はまだあまり知られていないものだったように思います

当時はまだ誰も取り組んでいない分野でしたね。ちょうど10年くらい前に在宅医療に関する制度ができたくらいですから。

在宅医療は、病院に通うのが難しい人に、家にいながらにして医療を受けてもらえるようにするためのものなんですね。
ケアマネージャーさんが体の調子を見たり、先生が薬を処方したり、それぞれ専門のスタッフや先生が協力して1人の患者さんに医療を届けます。
病院なら必要なスタッフが一箇所に全員揃っていますが、在宅医療の場合はA病院の先生、B病院のスタッフさん、C薬局の薬剤師さんなどバラバラです。
だからこそ、情報共有が大切になってきます。

ーーやり取りが大変そうですね。在宅医療の現場ではどのように情報共有しているのでしょうか

信じられないことに、1年前までは電話とFAXだけだったんですよ。でもそれだと、とてもじゃないですが情報共有はできません。

現在のコミュニケーションはチャットワークや「シズケアかけはし」(静岡県医師会提供の情報共有ツール)を活用するなど、ICT(情報通信技術)の導入を進めています。

ーー宮地先生が着任されてからの1年でかなりICT化が進んだのですね。そういえば、そもそもなぜ先生は掛川にいらっしゃったんですか?

掛川に来る前、僕は埼玉のクリニックで院長をしていたんですね。でもそこでなかなか新しい活路が見出せず、くすぶっていたんですよ。

4年ほど院長をしていたので経験は積めましたし、講演依頼なども増えました。そんな中で慣れも出てきたのでしょう。「毎日同じことを繰り返しているだけでは…」と思うようになってしまったんです。

一方で、自分の中では僻地医療への関心が高まっていました。
日本の地方は高齢者が多いし、財政は少ない。そしてそんな地方へ医療者は行こうとしません。

「地方で医療に取り組めば今以上に貢献できるのでは?」

そう思うようになりました。

そこでコンサルタントに相談したところ、掛川東病院を紹介されたんです。

初めて掛川を訪れた日のことをよく覚えています。
新幹線から見える街の景色。天気が良く、茶畑が見えました。
病院もとてもきれいで、印象的でした。

そこで「掛川へ行こう」と思ったんです。

「平日=掛川」「土日=東京」の2拠点生活スタイル

ーー現在、東京と掛川の2拠点生活をされているとのことですが

そうです。もともと2拠点生活に興味があったんですね。
「東京と地方を行き来することで関係人口を増やせるんじゃないか」というのが狙いです。

移住を推進してしまうといずれ人が足りなくなってしまうじゃないですか。それであれば、関係人口として医療従事者を増やせたらいいと考えました。掛川なら新幹線もあるし、交通に不便はありませんからね。

ーー実際にはどのような割合で行き来しているのでしょうか

コロナ以前は、月〜金が掛川、土日が東京という感じですね。家族は東京にいたので、週末に会いに行ったり、旅行がてら一緒に地方の医療を見に行ったりという感じです。

いずれは家族と一緒に掛川に住めたらいいなと思いますね。

掛川で実現したい「新しいヘルスケア」

ーー1年間、掛川に住んでみていかがですか?

クリエイティブな人、新しいことをやろうという人が多い印象ですね。
「都会にいそうだな」と思う人が、なぜか掛川にはいます。それがすごく良かったですね。

あと市としての大きさがちょうどいいので、新たな仕組みや制度を作るのに良いと思います。在宅医療ひとつとってみても、自分たちくらいしかやっているところはありませんからね。ダイナミックに変化するのにちょうど良い環境だと思います。

ーー掛川では、これからどんなことをやろうとしているのでしょうか

現状の医療は、保険つまり国の財産を使ってサービスを提供するのが基本的なスタイルです。ただこれだと、負担が若い人にいってしまうのでいずれ崩壊してしまうのはわかっています。

僕が考えているのは「社会保障を使わないヘルスケアの仕組み」です。
コミュニティの中で互いに予防に取り組めたり、保険を使わずに医療を受けられたりする仕組み。これができればおもしろいんじゃないかと思っています。

これは日本全国が必要としているので、掛川でモデルができれば、全国にそのモデルが普及させることもできるはずです。
さらにいうと、少子高齢化において海外は日本の後追いなので、海外でもローカル医療がきっと役に立つと思うんです。

ーーとても社会的に意義のある取り組みだと思いますし、世界に先駆けてできるという点も夢がありますね。本日はどうもありがとうございました!

▼宮地先生の取り組みは動画でもご覧いただけます!

インタビューを終えて

若干40歳にして病院の院長。これだけでも相当な異端児だと思うが、宮地さんの場合「ただ優秀なだけでは無い」というところがすごい。

これまで辿ってきたキャリアは、いわゆる既定路線から外れた”アウトロー”。
奇抜なメガネと特徴的な髪型。好奇心のおもむくまま好きなことをしている自由人。
にもかかわらず、その視座は誰よりも高い。

とんでもない人が掛川にやってきたものだ。

遅かれ早かれ、掛川は全国に、いや世界に先駆けて新たな医療の形を実現するだろう。

「世界一楽しく老後を過ごせる街」

掛川がそんなキャッチフレーズを掲げる日も近い。